突然ですが。
私は、
こんな小さな町に生まれ、そして育ちました。
表通りには、途切れ途切れに商店が点在し、
ギリギリ商店街の風情を残す町でした。
そして、裏通りには、
家具工場が連立し、「木工団地」と呼ばれていました。
「竹田家具」の産地として、この地域の産業を支えてきました。
この木工団地から、婚礼家具を満載し。
白い布とリボンをかけたトラックが、
何台も連なって全国に出荷する姿を誇らしく思い、
「縁起を担ぎ、あのトラックはUターンは絶対にしないんだ」などと
大人たちが言っているのを不思議な思いで聞いて育ちました。
そして、当時は、
町の三十件程度(と聞いた)の民家が、
二間続きの座敷などのタタミを上げ、
家具の小物を作成するなどの下請けをされていました。
子供の頃、友達の家に遊びに行った時の
丸のこの音や、ベニヤを切るときの臭い、ボンドの臭いなど、
本当に嫌なものでした。
ですが、今、思うと。
あれが、この町の音であり、臭いだったんだなと。
音も臭いもしなくなった町を歩くと、そう思います。
音、臭いを失うと同時に、活気も失ってしまいました。
勿論、止まってしまったのは民家工場だけでなく、
「木工団地」の大きな工場も皆、止まってしまいました。
観光ブームに沸く表通りと、対象的な竹田の裏側です。
天空の城と城下町。
陽の当たらない部分の風景です。
これはこれで、
時代の流れ。
経済の衰退。
日本人の生活スタイルの変化。
それら全ての結果であるのは間違いなく。
それらを受け入れたこの風景や建物が嫌いではなく、
むしろ、その逆の思いでこの風景を眺めています。
ですが、そろそろこの風景も見納めかもしれません。
足を運ぶたび、風景が変わっていきます。
え~何を書きたかったか・・・
話の趣旨が、
「廃墟大好き!! 」の主張に反れましたが。
なにが言いたかったかというと、
昔、竹田は「もの作り」の町だったと、言いたかったのです!!
「竹田家具」
朝来市の産業として復活しないかな・・・。
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