5.30.2013

もの作りの町

長い長い独り言ですが。


突然ですが。

私は、

こんな小さな町に生まれ、そして育ちました。


子供の頃(30年程前)には、

表通りには、途切れ途切れに商店が点在し、

ギリギリ商店街の風情を残す町でした。



そして、裏通りには、

家具工場が連立し、「木工団地」と呼ばれていました。

「竹田家具」の産地として、この地域の産業を支えてきました。

この木工団地から、婚礼家具を満載し。

白い布とリボンをかけたトラックが、

何台も連なって全国に出荷する姿を誇らしく思い、

「縁起を担ぎ、あのトラックはUターンは絶対にしないんだ」などと

大人たちが言っているのを不思議な思いで聞いて育ちました。


そして、当時は、

町の三十件程度(と聞いた)の民家が、

二間続きの座敷などのタタミを上げ、

家具の小物を作成するなどの下請けをされていました。

子供の頃、友達の家に遊びに行った時の

丸のこの音や、ベニヤを切るときの臭い、ボンドの臭いなど、

本当に嫌なものでした。


ですが、今、思うと。

あれが、この町の音であり、臭いだったんだなと。

音も臭いもしなくなった町を歩くと、そう思います。






音、臭いを失うと同時に、活気も失ってしまいました。


勿論、止まってしまったのは民家工場だけでなく、





「木工団地」の大きな工場も皆、止まってしまいました。

観光ブームに沸く表通りと、対象的な竹田の裏側です。

天空の城と城下町。

陽の当たらない部分の風景です。


これはこれで、

時代の流れ。

経済の衰退。

日本人の生活スタイルの変化。

それら全ての結果であるのは間違いなく。

それらを受け入れたこの風景や建物が嫌いではなく、

むしろ、その逆の思いでこの風景を眺めています。


ですが、そろそろこの風景も見納めかもしれません。



足を運ぶたび、風景が変わっていきます。


え~何を書きたかったか・・・

話の趣旨が、

「廃墟大好き!! 」の主張に反れましたが。


なにが言いたかったかというと、

昔、竹田は「もの作り」の町だったと、言いたかったのです!!


「竹田家具」

朝来市の産業として復活しないかな・・・。











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